切り返しや転換など回転動作を行う時に右足を軸にした左回転はよいのだけど、左足を軸にした右回転では重心が左によってふらつく。最近の稽古ではここのところがとても気になっている。
人間、実は普通に真っ直ぐ立てる人はそうそういないそうで。理由は簡単で、利き腕が違う、骨格や肉付きが違う、関節の柔らかさが違う、癖が違う、そして(たいてい)心臓が左にある。だから人間は自然に立つとたいてい左右どちらかに重心がよる。自然に真っ直ぐ立つのはまことに不自然なことなのです。Y先生がよくおっしゃるには「武道は理性で身体を不自然に扱う技法」ということで、一般に思われがちな自然な身体技法というものは実は不自然なもので、普段意識せずに使っている身体運用に関してもそれは周りの大人達の運用や学校教育を経て身につけているもので決して自然なものではないわけです。明治に入って軍隊が組織されるまで日本人は駆け足ができなかったらしいのですがこれもその証左になるでしょうか。先生は「自分の身体が自分の思い通りに動かせない、動かせていない。そのことに気付ければ武道をやった意味がある」ともおっしゃったことがあります。確かにその通りで、笑ってしまうぐらい自分の身体を自由に動かせないのです、僕らは。そうすると、自然、一体に自分の身体を動かしているのは誰?という感覚も出て来るし、自
分の身体に対する敬意もわいてくるのです。先生がいう武道の効能とはここ、身体に対する敬意を持つことなのかもしれません。
先日も、特に練習した覚えのない後ろ両手取り呼吸投げの受け身が普通にとれてびっくり。身体って凄いのです。でも、自然に真っ直ぐ立つには稽古が必要なのです。身体って不思議なのです(笑
タイトルはジョジョの奇妙な冒険(荒木飛呂彦 作)より。
いやー、ビシビシくるね、この言葉。
10代の頃はこの言葉を「明日があるなどと思って先延ばしにしてはならない。人間いつ死ぬかわからないのだから、今日できることは全て今日やってしまわねば。だいたい、明日やるって言って満足にやったためしたあるだろうか?先延ばし厳禁!!」みたいに思っていたのだけど、これを言葉通り実行したら、そりゃ死にます。うん、死んじゃう死んじゃう。
多少は大人になり、妥協を覚えた昨今は「人間いつ死ぬかわからない(←ここは絶対変わらない)。明日があるかわからない。だから、今日やることは厳選しないといけない。明日がもしないとして、明日やる予定のことが非常に重要なことであるなら、それは今やらないといけない。さて、今日やる予定の何を『やらないこと』にしよう?」という解釈をしてる。
荒木先生自身がどんな想いを込めたかわからないけど、名言ってのは無限の解釈可能性に開かれた言葉だと思うので、この言葉はやっぱり名言だと思うのです。
そうそう、先日からやることにした「やらないことリスト」ですが、いい感じです。
「やらないことリスト」+毎日の可処分時間のカウントダウンを組み合わせることで、安請け合いを相当減らしていけるんではないかと。
ただいまお仕事でセキュリティ周りのチェックツール走らせながらこの記事書いています。
最近は直接7時半に会社に行くのではなく、池袋の某喫茶店で仕事しながら、こうしてエントリーを書いたり、本を読むのが習慣になりつつあります。会社が銀座なんで、あまり長居すると電車が混んでしまうのがマイナスポイントですが、自分の状態を静かに見直すという意味でよい時間です。ブログを書くという行為も自分を見つめるいい機会で、その意味ではメンタル上の自浄作用があるようで、ワリによさげです。
さて、実は、これまで全体を考えることというのは具体性にかけ、具体的に考えるということは部分にとらわれる、そういう風に思いなしていたのですが、どうもこれって違うんですね。全体を具体的に考えるというスキルがあって、それは可能なことなんですね。全体をとらえる、考える、俯瞰的な視座でマッピングする、つまり鳥の目で見る。その時、もちろん細部は目に入らない、でも、俯瞰状態で目に飛び込む映像を具体的にみることはできる。俯瞰的=抽象的に考えるということじゃなくて、高度を上げて、でもそこから見える映像自体はクリアにみる。網膜に映りこむものはそのままみる。勝手に言葉でまとめて、抽象度あげるのが俯瞰的なのではなくて、それは単に何も見ていないだけ。言葉で表現するのは難しいけれどそういうことかなと。
たびたび合気道の話で申し訳ないですけど(笑、立合いの時、相手を含む風景全体を見るようによく指導されます。部分を見るのではなく、俯瞰するわけです。若干ボーっと、相手などいないぐらいに思った方がよいらしいのですが、ともかく視野狭窄に陥らないようにする。これは、そうすると相手の動きがよく見えるからです。草食動物が目を顔の両サイド気味につけて視界を広げ、外的の襲撃に備えられるように進化したのと同じ。サバンナの草原の雄、ガゼル師匠(トムソン・ガゼル)の叡智は常に気づきの宝庫です。話がガゼル師匠にずれた(笑 ともかくやられないためには全体をみないとなのです。しかし、ここで見えるものを、網膜に映るものをそのままみないで、頭の中で勝手に抽象化、ストーリーを作って「相手はこう思っているはず」とか、「こう動いてくるはず」とか余計な予断を持つと、実際には相手を見ていないということになる。全体をみる、が、しかし、抽象化はしないでそのままとらえる。
人間は見えるものをそのままみているのではなく、見たいものをみるので、実際はなかなか予断なしでというのは難しい、というか100%予断なしは不可能ですけどね。稽古しながら、最近は「ボーっとというのが意外とポイントなのかしらん」とか思ってる。ボーっとしすぎて油断につながりがちなんですけども、ぼくの場合(笑 ガゼル師匠を見習わねば!
こっちでの報告忘れてた(汗
アースデイ東京2009:エコピは前のめりに参加してきたよ(しんち) - エコピのブログ:WebSigエコ&ピース(Web屋×楽しい環境・社会貢献)
http://ecopi.websig247.jp/blog/2009/04/ed2009-shnchi.html
greenz.jpのYOSHさんがまとめ記事も書いてくださいました!
とてもやる気をくすぐるうれしい記事です。
ぼくの書いた記事も紹介してもらってます。
今年もアースデイ東京が終了。速報ステーション2009ダイジェスト! | greenz.jp グリーンズ
http://greenz.jp/2009/04/22/earthday2009/
それにしても、よーがんばった。やってる場合じゃない時ほど人ってがんばれるのね(笑
特に今回、新メンバーのまこさんの活躍がすごかった。スキルもパフォーマンスも高い。
こういう人に会えたりするから「やる気ベース」のアクションはやめらんないんだよね。
次はエコピ公式サイトとホームレス支援の仕切りなおし!がんばりましょー!
人工透析を受けている人は2日~3日おきに透析を受けなくてはいけません。
ので、三泊四日といった一番、お値段手ごろ、時間も比較的確保しやすい旅行に行くというのがとても難しい。
透析後は体力の消耗、疲労も激しいため、実際、外出する気力を失うということも多い。
で、思うところあって、透析を受けている人の旅行をサポートするサービスはあるのか調べてみた。
Google検索:透析 旅行
http://www.google.co.jp/search?q=%E9%80%8F%E6%9E%90+%E6%97%85%E8%A1%8C&lr=lang_ja&ie=utf-8&oe=utf-8
旅行代理店でそれなりに用意はされているみたい。
近畿日本ツーリスト - 透析旅行
http://tosekitour.com/
株式会社トラベリング - 透析旅行へのご案内
http://www.netlaputa.ne.jp/~travlink/annai.htm
海外の透析旅行
http://mabo.ciao.jp/Dialisis/Dialisis.htm
透析患者の海外旅行応援宣言!透析患者でもあるベテラン添乗員がサポートします。
http://www.ntltours.com/toseki/index.html
ただ、調べた範囲では長期間の海外旅行が多く、最初に挙げた3泊4日程度の国内旅行のプランは見つけられなかった。考えてみるに、3泊4日の場合、内最低1日は透析で活動しづらいわけで、旅行者の立場にたってみてもそれほどインセンティブが働かないのは想像できる。
観光地や温泉街など、旅行先と提携した透析施設の仕組みができないかなと思うが、その施設の維持にも維持費がかかる
わけで、そうすると旅行代理店がかんである程度旅行者の数を安定して供給できなければそれも成り立たない。代理店の提供するプランの費用や詳細をもう少し調べてみる必要があるが、透析旅行のアナウンスを強めるだけでもよいのかもしれない。透析を受けている人自身はもちろんこうしたことを知っている方が多いだろうけども、周囲が知らず旅行をはなから諦めているケースがありそうだから。
そもそも、透析の患者さん達にとって、QOL(Quality of Life)の観点から、旅行うんぬんはどれほどポイント高なのかというところもある。もちろん旅行が大好きという人にとってはインセンティブが高いだろうけど、それは一部だ。
より本質的には、外出に対するおっくうさの解消や、慶弔などの抜けがたい諸事での遠出をどうクリアするか、若い人であれば就職、結婚、出産への影響といったことの方がクリティカルなんだろうな。それともちろんお金の問題も。
自分も持病を抱えている身なので(最近は主観的にはたいしたことないと思って生きてますが)、うんざりする気分は少しは想像できる。毎食薬を飲んで、定期的に病院に通うだけでもうんざりするのだから、透析っていう大掛かり、かつ、身体の負担、時間の負担も大きな治療を受ける、受け続けなければいけない人たちのブルーな気分はいかほどのものかと思う。
足元から、身近なところからという立場に立てば、まずできることは、透析患者さん達への偏見の解消と理解に協力するということになるだろうか。そして活動団体への寄付だろうか。透析だけに限らないけど、病気になると何故か病気になったコトを責める人がいる。病気になったのにはいろんな原因があるわけで、また原因はともかく弱っているわけですから基本いたわるのが正しいはずですが(説教は落ち着いてからすればいいでしょ)、何故かそれを認められないのです。特に、実は一番責めるのがご本人だったりするのです、これが。しかし、経験上、自分を責めて物事が好転したことなんてない。周りもつらい。病気になったって幸せに生きていいんだっていうメッセージをもっと伝えていくことが大事なのかもしれない。
昨日は福田君、N君の友人二人と池袋の喫茶店でモーニング。
隔週で恒例になってきた感のあるこの会合は、朝っぱらから程よい刺激とコミュニティへの帰属感を得られる大切な時間です。
そのモーニングで気宇壮大になって、将来の展望なんぞをあーたらこーたらエラそうに語っていたのですが、
出社後、自分の机の上で育てている植物がヘタっとなっていることを人に指摘されて気づくという事件が勃発。
かなりのショックというか、だめじゃん、俺。
立派なこといっても、結局目の前のことを大事にできないようじゃ、まるでダメっすね。何もできないっすね。
そういう大事なことを彼(植物とメガショックを与えていただいたことに敬意を表してショッ君と呼ぶことにしました)は教えてくれました。きっと、カミサンや友人達、家族や、仕事の仲間のいろんなメッセージをショッ君と同じように見逃しているんだろうな。
立派なことができてないことが問題なのではなくて、当たり前のことができてないのが問題なのですね。
受験と一緒か(笑 簡単な問題がちゃんととければ試験には受かるという、アレと。
それにしても、何でこうも不注意なのかと考えてみるに、もちろん目の前のことをより遠くの立派なことを
抽象的に追い求めるというマインドセットの問題もあるのですが、心がいらないこと、考えなくてもいいこと、
余計なことにわずらわされ過ぎているということなんだろうなと。つまり、集中してないし、心の中にものを
詰めすぎ、やることを増やしすぎということなんだろうなと。だから、周りの変化が入ってこない、気づく余裕がない。
そういうことなんだろう。心を亡くすと書いて「忙」になりますが、まさに忙しいという状態は「やるべきことじゃないことをやりすぎ」ということなんでしょう。取捨選択が全然できてない。気を抜くとやることを増やすことばかりに頭がいってしまう。
しかし、このままでは、ショッ君と同じように周りの身近な大切な人たちの大事な変化に気づけず、
大切なものを損ない失うことになりかねない。
たぶん、「やりたいこと」、「やること」で考え続ける限りタスクを限りなく増やしていってしまう傾向は
少なくとも自分の場合とまらない。ので、こうすることにしてみる。
その1:絶対にやりたくないことを明確にする
その2:やらないことリストを作る
その3:色々断ってやること減らす
その4:一日30分はぼーっとする時間つくる
ショッ君に多謝。
ショッ君の体調は大丈夫だろうか。水のあげすぎなのか、肥料が足りないのか。そんなこともわからない情けないわたくし。
My師匠リストにこのたびショッ君が加えられたのだけど、不注意で師匠がお亡くなりではもう悔やんでも悔やみきれない。
今日は道着が半乾きだったため稽古はお休み(ま、道着が大丈夫でも仕事が押してしまったので無理でしたが^^)
残念。
さて、普段の稽古で、特に座技の呼吸法で「肩にがっちがちに力入ってて全然だめ」と指摘されることが多いわたし。肩に力が入っていると身体の重心が上にあがるので相対的に相手より不安定になってしまい崩すどころか崩される。理屈はよくわかり、まったくその通りなのですが、理解と実践には千里の隔りがあり、ただ肩の力を抜くだけのことが難しいのなんの。だいたい、人間、意識した所に力は入りがちなわけで、肩の力を抜こうと肩を意識すると余計に力が入っちゃったりもするし。ままならないのです。緊張しないようにと思えば思うほど緊張するのと同じですな。
「何も考えずに子供みたいに無心になる」のが一番いいみたいなのですが、色んな世間知にまみれて汚れた大人、つまり自分(笑)にはなかなか難しいことでございます。
でも、そんなうす汚れた僕やあなた(←失礼)に朗報。Y先生が教えて下さった方法があるとです!
それは、肩以外の箇所(理想は指先)に200%の力を入れる、という方法。
人間の、意識した所に力が入りやすい、そして同時に二ヵ所以上に力を入れることはできないという特徴を逆手にとった大胆な方法で、先生曰く、これに慣れていくことで肩の力の抜き方も自然に身についていくとのこと。
まぁ、これはこれでなかなか難しいんですけども(笑 まだまだ修練が足りませぬ。しかし逆を言えば肩の力を抜くというのは修練で身につけられるスキルだということ。肩の力を抜くというのは緊張しないということにもつながるから、緊張しないということも心掛けとか考え方とか性格とかには全く関係なく、それは単純なスキルっつーことですな。これってすごく面白い。
応用すると、たぶん、あることに緊張しない為には、他のことを200%の力で考えるっつーことになるわけだね。熱中するものがある人が自然体で素敵に感じることが多いのは、きっとこういうカラクリなんだろう。
CCPMをプロジェクトレベルではなく日常生活に活用できないものかと考え中。
ポイントは50%の達成確率のこの50という数値を何を100%として考えるか。
じーっと考えているとそもそも確率ってなんだ?ペテンじゃねーのか?天気予報の降水確率、あれは何が100%として10%だのなんだのいってやんだ?このやろ。なんてのが頭の中に渦巻く。
見積りの能力が高ければ半々の確率で達成可能って感覚は容易に感じられるんだろうか。わからない。
もう一つ。バッファの初期値をどう考えればよいのか。仕事だけに限定して考えると平日8時間×5日=40時間でこの40時間に達成確率50%でタスクをいっぱいに詰めていくと当たり前に破綻する。どーすんのよ。タイムボックスな思考方法とCCPMは親和性が低いのだろうか。とりあえず、一日分の8時間はバッファの初期値としてみましょうかね。足りない気がめっさするけども。
公私に渡っていろいろバタついてます。
まぁ、バタつきの理由の半分は自分で作ってるんですけどね(汗
年末年始に一つレベルアップしました(当社比)が、今月にもう一度レベルアップが望まれそうです。
しかも今回は燃え尽き気味でのFightになりますので、また一味違った面白みが^^
それはともかく、4/18、19日のアースディ東京に向けて、WebSig エコ&ピースで絶賛サイト構築中です。
完成のあかつきには公式ブログの方でアナウンスされるかと。
もぅー、時間がなくてドキドキするよ(笑
僕も含めて、やってる場合じゃない人達がめっさやってます。
まぁ、よいのです。祭とはそういうものです(ん?)
アースディではサイト作るだけやなくて、当日も会場に行って行動します。
興味のある方は是非いらっされ。