言葉とわかる

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 長くなりそうなので、手短に(挨拶

 言語化するってのは、意識の客観化じゃないのかな、と思う。独りっきりで無人島で暮らしていると誰かに伝える必要性がないから言葉を発しなくなるのでは?と思うけど。その意味では、外部からの情報は言葉に頼る他なく、外部に発信するときも言葉に頼るほかないのではないかなぁ。

 ニュータイプは言語が必要ないのでは、と思う今日この頃。

なるほど。確かにコミュニケーションの水準で考えると言葉は必須だよね。
ニュータイプじゃないから、念じてもね、とどかないしね(笑

自分自身も他者ととらえると、自分自身に語りかけるとき(それはつまり思考するときや、一人言をしゃべるとき、あーだこーだ頭のなかで考えてるときに相当する)、僕らはそういう場合でも日本語、または知っている言語で考えるよね。そういう意味で、僕達は、たとえ無人島で一人で暮らしていても言語に縛られているんだと思うよ。自分と対話するために必ず言葉を使わずには思考できないから。

ただ、考えるのではなく感じるというレベルがあるよね。この感じる経験、言語かしづらい何かというのは使用している言語に無関係に経験しえて、共感しえるのかなぁというのがとても気になるところ。

内田 樹の『寝ながら学べる構造主義』のR.レイの引用によると

「現に、苦痛が耐えきれなくなる閾値には個人差があるだけでなく、その個人がどのような文化的バックグラウンドを有しているかによっても異なることが知られている」(R・レイ『痛みの歴史』)

とのことなので、これが正であるならば感じるレベル、経験のレベルでも人間は使用している言語に強く影響を受けてしまうのかなぁと思ったり。いや、そんなことない世界もあるんじゃねぇのと思ったり(笑

あとは、無人島でいきなり生まれて、親はすぐに死んで、言葉を学ぶ機会がないままに運良く(?)成長したケースではどうなるのか?も興味深い。オオカミに育てられた少女の話、もううろ覚えだけど調べて読み直してみようかな。確か、人間社会につれてきてからあまり長く生きられなかったんだよね。

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