自分は咳喘息も持っているのだけど(アレルギーだの、なんだのやたら持ってるやつですな、ほんとに)、今週はじめぐらいから、ビッグウェーブがきてるみたいで、ほんとひどい。
咳って体力を消耗するので、えらくだるくなるってのもあるんだけど、それ以上に、オフィスでは周りに迷惑かけちゃうのでつらい。周りは実際にはそんなに気にしていないみたいなんだけど、やっぱり「うるさいんじゃないかな?」とか気になってしまう。ので、なるべく音を立てないように咳をしようとするのだけど、そうすると、肺の中の内圧があがるのか、一咳のダメージがでかくなるという悪循環。やれやれ。
不思議なことに合気道の稽古をすると少し落ち着く。深い静かな呼吸が効果があるんだろうか。よくわからない。
ちなみに、カミサンも咳ぜんそく持ちなので、秋の夜長は夫婦で咳の二重奏なんてことも(笑
なんつーか、色々と心配をかける夫婦であることだわ、われながら。
合気道のKさんがいみじくもおっしゃったことがある。
「怖いこと、嫌なこと、面倒なこと。生きてるとそれは沢山ある。壁が目の前にせまってくる。でも、その時こそ、一歩、いや、半歩でいいから前に出る。そうしないと、壁はもっと高くなる、退路も立たれる。怖くても、前へ出る」
いつでも、なんでもかんでも、前に出てちゃそりゃ疲れちゃうし、リスクも高すぎるのでどうかってのはあるんだけど、譲れないポイントでは、やっぱり前に出るべき。そう僕も思う。合気道で言えば表に入る。僕は性格もあって裏に入る(相手の行動を待って、それにあわせて動くイメージ)方がどうも得意みたいなんだけど、ここぞというポイントでは、特に恐怖とともに壁が迫ってくる状況では、やっぱりそこは男の子。前に出るべき。(いや、女の子でもね)
前に出れば、相手の攻撃は有効なヒットポイントをずれて、攻撃力が必ず下がる。これは、経験上言い切れる。
だから、実は予想に反して、引くよりも前に出た方が安全ってことはよくある。
打ちおろす太刀の下こそ地獄なれ踏み込んで見よ極楽もあり (『剣道みちしるべ』 範士 佐々木季邦 著 より)
ってこと。まぁ、実際はやっぱり怖いので色々と大変だけどもね(笑
生きるということは自己表現の連続なのかなと思うことがある。
ある人は文章で、ある人は絵で、ある人は会話で、ある人は動作・たたずまいで、ある人は仕事で、ある人は人間関係・コミュニティで、ある人はプログラミングで。
何のご縁なのか、合気道は僕にとって表現方法の一つになった。
そして、もう一つ幼いころから頭に描き続けて歳を経て出会ったプログラミング、これを大事にしたいなと思う。
どうも、自分が尊敬する人々(アンドリュー・ハント、デビッド・トーマス、ジョエル・スポルスキ、カル・ヘンダーソン、ポール・グラハム、マーチン・ファウラー、トム・デマルコ、ティモシー・リスター、エド・ヨードン、ラリー・ウォール、etc)はみんなプログラミングを重視している。少なくとも自分の手を動かすことのインパクトを過小評価していない。みな書き続けている。マネジメントの大切さを訴え、そのノウハウを書いていても、同時にプログラミングに時間を投入することを忘れていない。プログラムを読み、書く力はたぶんソフトウェア開発の基礎体力、土台にあるものだし、それ自体広大な問題空間を持つものだと思う。プログラミングをしていく中で、設計スキルが洗練され、要件定義スキルが洗練され、プロジェクトマネジメントスキルが洗練されていくことは「ありえる」と僕は思っている。そうじゃないと彼らの経歴と現在の素晴らしい活躍を説明できない。逆を考えてみる。プログラミングができなければ、良いソフトウェアは作れない。うん、やっぱり自明だ。
ソフトウェアを最終的に形にするのはプログラミングで、最終アウトプットはプログラム。これは自明なわけだから、プログラミングを重視することはイコールアウトプット重視ということで、価値あるソフトウェアを作るという観点から最短距離を走ることになる。もちろん、設計がいらないわけじゃない、要件定義がいらないわけじゃない、マネジメントがいらないわけじゃない、企画がいらないわけじゃない。でも、それは考え方としてはプログラマが設計をやり、要件定義をやり、マネジメントをやり、企画をやるという考え方にするべきだと思っている。プログラマがプログラミング意外も価値あるソフトウェアを作るために必要なあれこれがあるから、それをやる。それが正しいんじゃないかと感じてしょうがない。
だから自分は自分のことをプログラマと称したいし、そのために、毎日必ずプログラミングに時間をとる。
道場の運営や、技の解析も確かに大事だけど、だからといって実際に稽古することをしない合気道家、武道家はいない。これは至極当たり前のことだ。そうなってしまったら終わりだ。こんな当たり前のことが、ソフトウェア開発の現場では見落とされている。
ふぅー。やっとアナウンスできる状態にできた。
寝ずに聞け! 第7回放送です。
「寝ずに聞け!」 第七回 2009年06月 - 寝ずに聞け!
http://www.nezunikike.net/2009/06/bcast-7th.html
次回ゲストを放送内で募集しています。
フォームから応募頂いた方、先着一名様がゲストです。
感想のところに「ゲスト希望」と一言書いてもらえればOK。
Skypeによるリモート参加もOKです。遠方の方も気軽に応募すればよいと思います(笑
まぁ、いっても気軽には無理だろうと思ってますけどね、僕らも^^
放送の中でも言ってますが、もし誰も応募がなくても僕らは「もう、すごかった応募が。大変」
って言い張りますから。ゲストも無理矢理用意しますから。きっと^^;
あ、普通に感想だけのもすっごく嬉しいので、是非是非。
ほんとに、ここ一週間程前からPCのキーボードのカーソルの左移動のキーが反応しなくなって、えらい難儀してます。
前に戻って修正したいときは、マウスでクリックしなおさないといけないという苦行。この状態でMTのテンプレートをいじるのは人間の器を試されますね。
今使っているノートパソもだいぶ長く働いてくれているしなぁ。そろそろ引退かもしれない。
Joel on Softwareで有名なジョエル・テスト。
Joel on Software - ジョエル・テスト
http://japanese.joelonsoftware.com/Articles/TheJoelTest.html
- ソース管理システムを使っているか?
- 1オペレーションでビルドを行えるか?
- 毎日ビルドを行うか?
- 障害票データベースを持っているか?
- 新しいコードを書くまえにバグを修正するか?
- 更新可能なスケジュール表を持っているか?
- 仕様書を持っているか?
- プログラマは静かな労働環境にあるか?
- 買える範囲で一番良い開発ツールを使っているか?
- テスト担当者はいるか?
- プログラマを採用するときにコードを書かせるか?
- 「廊下での使い勝手テスト」を行っているか?
ジョエル発案の簡単に開発組織の質をチェックできるテストで、Yes/Noで回答して10点以下ならその組織は問題があるという話。もちろん、これが全てじゃないけれど-たとえば6番とか(これは顧客の性質に寄るところも多いだろうから)、10番とか(チームメンバーが10名に満たない場合にテスト専任はコスト面で厳しいだろう。Joelの理屈はわかるが上を説得できませぬ)-愚直に達成していこうと思っている。
ところで、驚いたのは
いいアジャイルと悪いアジャイル
http://www.aoky.net/articles/steve_yegge/good_agile_bad_agile.htm
の記事。
Googleでは
- ガントチャートや、日/タスク/担当者が書かれたスプレッドシートや、そのほか何であれ、目に見えるプロジェクト管理を示すものは見たことがない。
らしい。衝撃だ。その理由はつまり、
作っているソフトウェアについて前もってアナウンスする習慣があるなら、一般の人々はそれがいつ頃になるのかを知りたいと思い、それは日付ということにな る。私の考えでは、これがGoogleが前もってアナウンスをしないことが多い理由なのだ。いい料理を手早く作ることはできず、赤ちゃんを手早く産むこと はできず、そしてソフトウェア開発を手早くやることはできないということを彼らは知っているのだ。
これらの3つの例外が日程によって駆動されているのでないなら、何が彼らを駆動しているのか? ある部分では、それは創造への欲求であり、何かを作りたいという欲求だ。すぐれたエンジニアがみんな持っているものだ。
(中略)
違うのは、Googleは物事にどれくらいかかるか分っていると主張するほどばかでも傲慢でもないということだ。
ということらしい。うん、確かに、自分と自然の摂理に嘘をつかない生き方を考えればこうなるね。
未来は予測できないということは賢い子は幼稚園児ぐらいから自覚する自明の定理なわけだけども、これを諦念とともに受け入れて適応すべきか、戦いをいどむべきか。どちらが大人な態度なんだろうか。
「スケジュール?そんなもんいらねーよ。俺を駆動するのは俺自身のモチベーションだけだ!」
なーんて言い出したら、ご飯が食べれなくなっちゃう人がいっぱい出てくるからなかなか大声ではいえないわね。
非難轟々でしょうなぁ、きっと。
マネジメントって本質的に、上手くできない、稼動する気のない人達、その件に興味のない人達をなんとかその気にさせるってことだと思うので、そんな人がいないなら、または充分に少ないなら、その組織ではマネジメントっていらないんだろうな。どこかでマイナス面を解消するためのコストが解消によって得られるコストを上まるポイントがあり、ここを越えてまで管理するのはナンセンスだろう。だから、やる気のある人を雇うのはマネジメントコストを抑えられるのでお得って話になる。逆に言えば、「いい人材さえいえば!!」という渇望は、マネジメントの敗北ともいえる。
ただ、ここのロジックの穴は、人のステータスを静的にとらえてるってところで、人のやる気だの能力だのは変化するので、やる気のない人というのが定常的にあるというのも実は危うい発想なんだよな。正確にはやる気のある時もない時もあるし、環境にも多分にそれは影響されるってことで、その辺りに実はマネジメントの骨法があるような気がする。マネジメントはだから、何かを作れば(仕組、ガイドライン、懲罰、報償、etc・・・)それで終わりというものではなくて、家事のように、毎日し続ける、終わりのないメンテナンスタスクの総称なんだろう。だから、マネジメントがいらなくなることはない。家事がいらなくならないように。でも、同時に家事はできれば最小化できれば、楽だよね。
ここ2、3日の話を箇条書きでメモしとく。細かいところはまた後で。
・始業が9時からなので、6時半に家を出てもあまり余裕がない罠。ので、仕方なく最近4時起きが定着気味。すると、午後4時過ぎにめっさ眠くなる。18時過ぎると頭が完全に使い物にならない。だれか、FRISK1年分ちょうだい(笑
・カミサンとの交換日記計画発動。ラジオでも話しているのだが、ラジオをフォームをセットしてからちゃんとアナウンスしたいなーなどと考えている内に月日は流れ、カミサンに言い出すタイミングもつかめぬままという始末。思い切ってメールで打診(笑
・朝の時間が足りず、小説も面白いので(←おぃ)、ラジオの公開がめっさ遅延する。フォームはA-Form使おうと思ってます。さくっといれろよ、自分。今回、ゲスト募集しているので、フォームがないとアレなのです。
・土曜はアウトプット勉強会。「V字回復の経営」が課題本。ざーさんとはじめてお会いし、そのファシリテートスタイルに学ぶべき点が多く感じる。あまり多くを話されるタイプではないが、淡々とまとめていて、ざーさんタイプのファシリテートなら自分もできるかなと思った。ただし、人数が10名越えなければ。やっぱり、8~10名ぐらいの規模が一番楽しい。みんなそれなりにしゃべれるし、和気藹々とする。とても楽しかった。勉強会の細かい感想は別エントリーに書くことにするけど、一つだけ。自分はタスクフォースには入りたくないなぁ、しんどそうだし(笑 したらば、mixiで、zeemoreさんが似たようなこと書いてて著しく共感しました。そうですよねー、経営者マインドを持った従業員って、考え方によっては経営側にとって非常に都合のいい存在ともいえますよね。従業員マインドを持った(というか理解できる)経営者も大切だと思うのだけど、あまり言われないよなぁ。
・合気道の話。剣杖が2週間ほど前からスタート。日曜の稽古で、杖を使った転身の動きで激はまる。理屈がわからない。ひじの内側が若干はる、それが受けていて大事っていうのはわかるのだけど、そっからどうして身体が動くときと動かないときがあるのかわからない。これ読んでるひと、さっぱりわかんないと思うけど許して(笑 自分メモだから、ここは完全に。力学的に解析したくてしょうがない今日このごろ。つーか、やってみよ。
エンジニアとして伸びて行くために、何を、いつまでに、どのようにやっていくか。
最近、よく考える。
今までは、あまり体系的な知識を入れずに、よく言えば臨機応変に柔軟に、悪く言えばいい加減にやってきた。
あたられた環境下で期待されたパフォーマンスを付け焼刃でもなんででもなんとか出していくということに関しては、ずいぶんやってきたように思う。けれど、この辺りで一度、体系的な知識を入れて、自分の経験もその体系の中に位置づけて整理するのがいいのかなと感じている。いまはそういう時期なんだろうなと。
だから、具体的には、応用技術者試験、プロジェクトマネージャ(またはPMP(Project Management Professional))の合格を目指して勉強してみようと思ってる。資格自体にそれほど意味があるとは思っていないけれど、体系的に知識を身につけて整理するには資格勉強を利用するのが向いてる。そう思うので。
昨日、エコピのオンラインMtgに出てしみじみ思ったのは、社外のデキる人とつながり続けていないとダメだっていうこと。
もちろん、社内にもできる人はいる。その人達から学ぶべきことは沢山あって、どきどきわくわくしている。
ただ、組織の文化というものがどうしてもあって、それは中にいるとわからない。異文化と接触して、はじめて、良いことも、悪いことも見えてくる。自分のおかれた前提条件が見えてくる。環境のバイアス、それも負のバイアスに対抗するためには、外部のデキる人との接触がかかせない。そう強く感じる。
合気道のYさんが「社内でいくら評価されててもダメ。外でいかに評価されて、そしてコラボレーションできるかだ」みたいなことを仰るのだけど、ほんとにそうだと思う。井の中の蛙になっちゃいけない。
合気道で指導していただいているYさん、Kさん。
これまで、このブログでは、師や先生と呼び習わしていたのですが(本人の前ではこれまでもYさん、Kさんでした)、Yさんに「先生と思わないで欲しい。自分は同じ稽古生だと思っている」といわれて、確かに師や先生に位置づけることで遠慮やしり込み、変な気遣いや遠慮が発生することにも思いいたりました。
仕事でもない世界で、上だの下だの持ち出して遠慮してちゃ確かにアホくさい。もちろん、敬意はこれまで通りあり続けますし、TPOによっては師弟っぽく振舞ったりってなことはあると思いますが、基本、同門の兄弟子と思ってお付き合いしていこうと思いました。それがウチらしいし、格好いいと思うから。そして、自分も、弟弟子に対して常にフラットな関係をキープすることを誓いたいと思います。
まぁ、元々ウチの会はフラットな雰囲気なんですけどね^^
他の道場とかすごいらしいですから。段や級の順に並んだりとかさ。
まぁ、厳格な師弟関係もそれはそれで素晴らしいもの、得るものはもちろんあると思いますから、あうあわないの話なんですけどね。
ただ、フラットな関係の方が依存できないので、依存傾向のある人にとってはある種厳しいのは確か。
でも、フラットな関係の方が断然楽しいよ。
Perl(http://www.perl.com)ってたいがいシブトイと思うのです。
僕がWeb屋なお仕事に絡み始めてはや10年。最初に触ったどころか、最初にブラインドタッチを覚えながら学んだ言語がPerlなわけですが。未だ第一線で活躍し続けるこの言語。いい加減で、小回りが利いて、ワンライナーばりばりで、大規模にはどっかなーなーんて思いつつ意外に使われてたりして。PHP、Java、Ruby( on Rails)、etc・・・色んな言語がそれなりに席巻して、もちろんそれらも生き残り続けるのでしょうが、Perlも相当シブトイ。僕個人の経験言語をさらに書くと、C++、bash、sed、awk、tck/tk、pythonがありますが(もちJavaScript、HTML、XMLなんぞは当たり前に使いますが、これらはどちらかというとなんというかWebをやる以上、構成要素みたいなものなので。生物におけるたんぱく質のような感じ?のでとりあえず経験言語からはずす)、ずっと10年間使い続けているのはやっぱりPerl。アプリケーション作成に使わなくても、サーバ管理だの、ちょこちょこっとしたテキストの加工だので使わないシーズンというのがない。これは、もちろんPerlが僕の母国語であるということもあると思いますが、やはり愛着が強く、Perlで書いていると手になじむ。書いていると手になじむって変な日本語ですが(笑
Javaも4年~5年前は相当やりましたが、結局なじむということはなかった。もちろん書くことはできる。付き合うことはできる。でも、いつも一緒にいたい相手かというとJavaは僕にはそっけないというか、堅物すぎるというか。他の言語もそれぞれ性格があって(プログラマの皆さんはみんなわかるでしょう)、なんというかあうあわないってあるんですね。不思議に。
まぁ、ともかく、日本人がどうしたって日本語が身体にフィットして、日本食を求めて、日本文化に恋焦がれるように、僕はPerlで育った以上、どうしてもまずPerlありきなんでしょう。外国語を学ぶとき、重要なのは母国語の力だとよく言われます。それは母国語は身体で覚えるけれども、外国語は頭で、理性で、つまり母国語を使って覚えるものであり、また身体に母国語の感覚がしっかり組み込まれてないと、外国語の概念を母国語の概念との差異を利用して理解するということができないからだと思います。
というわけで、Perl使いとして今後覚悟を決めてもっと習熟することにします。フレームワークも使ってみよう。ところで、PerlのフレームワークのシェアってCatalystとSledge、どっちが強いんだろ。というか盛り上がっているんだろうか。とりあえず、Sledgeはもう開発止まってる(?)っぽいから、Catalystか。まぁ、使い勝手良くて枯れてればその方がよろしって発想もあるけど。
切り返しや転換など回転動作を行う時に右足を軸にした左回転はよいのだけど、左足を軸にした右回転では重心が左によってふらつく。最近の稽古ではここのところがとても気になっている。
人間、実は普通に真っ直ぐ立てる人はそうそういないそうで。理由は簡単で、利き腕が違う、骨格や肉付きが違う、関節の柔らかさが違う、癖が違う、そして(たいてい)心臓が左にある。だから人間は自然に立つとたいてい左右どちらかに重心がよる。自然に真っ直ぐ立つのはまことに不自然なことなのです。Y先生がよくおっしゃるには「武道は理性で身体を不自然に扱う技法」ということで、一般に思われがちな自然な身体技法というものは実は不自然なもので、普段意識せずに使っている身体運用に関してもそれは周りの大人達の運用や学校教育を経て身につけているもので決して自然なものではないわけです。明治に入って軍隊が組織されるまで日本人は駆け足ができなかったらしいのですがこれもその証左になるでしょうか。先生は「自分の身体が自分の思い通りに動かせない、動かせていない。そのことに気付ければ武道をやった意味がある」ともおっしゃったことがあります。確かにその通りで、笑ってしまうぐらい自分の身体を自由に動かせないのです、僕らは。そうすると、自然、一体に自分の身体を動かしているのは誰?という感覚も出て来るし、自
分の身体に対する敬意もわいてくるのです。先生がいう武道の効能とはここ、身体に対する敬意を持つことなのかもしれません。
先日も、特に練習した覚えのない後ろ両手取り呼吸投げの受け身が普通にとれてびっくり。身体って凄いのです。でも、自然に真っ直ぐ立つには稽古が必要なのです。身体って不思議なのです(笑
>kiyokoさんコメント&ご心配ありが... read more
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